思わぬ形で日本全国、そして世界へ……?(過言)

先の2023年2月4日、個人的に敬愛し応援し続けている歌手、宮内タカユキさんのバースデーライブで写真撮影をさせていただき、その写真が読売新聞の記事に使われたのが先月22日のこと。

↑読売新聞オンラインの記事見出し(記事にリンク)

これはあくまで、このライブに読売新聞の記者である鈴木美潮さんが参加されていて、宮内さんサイドからこの写真が提供されたからにすぎず、偶然の結果ではある。別に自分の写真が世の中に認められたとか、そういう話ではない。

それでも、自分が撮った写真が自分のブログやSNS以外で初めて広く社会に発信されたという一点において、大きな励みになる一事だった。

そしてまた今日(3月10日)、同じ記事の英語版が発信された。もちろん、今回も自分が撮った写真を使っていただけている。

↑読売新聞「THE JAPAN NEWS」の記事見出し(記事にリンク)

現実問題として、これらの写真については自分に著作権こそあるものの、使用権自体は「宮内タカユキ事務局」様に譲渡しているものであり、自分の名前が表立って出ていくものではない。

とはいえ、本当に使いでのない写真であれば、このようなメディアに採用していただけるということはなかった、と思うのだ。一応最低限の「メディアで使えないこともない」写真が撮れるようになった、という程度には自惚れて良いのかもしれないw

それに、読売の鈴木美潮さんといえば、特撮ファン業界(?)では著名な「フィクサー」的な存在であり、この方が主催する特撮やアニメの関連イベントは多岐に及ぶ。それを楽しみにする海外のファンも少なくないと聞き及び、この方の記事に使っていただけたことは大きな励みになる。

もちろん、今回の事はどこまでいっても「偶然」が重なった、何よりも宮内さんを始めとする素晴らしいタレントの皆様あっての、言うなれば「棚ボタ」である。「被写体の派手さに頼らなくとも、観る人に訴求できる写真を撮りたい」という自分の目指すところとは正反対の事績だ。

しかし、この一事をきっかけに「次」の機会が得られる時が来たならば、そこでその機会を十全に生かして、また誰かに「喜んでもらえる」写真を撮りたい。今回の写真も、まだまだ狭い範囲ではあっても、喜んでくれる人々がいてくれた。

一人でも多くの人に喜んでもらえる写真を、一枚でも多く撮りたい。無目的に生きてきた自分だが、折り返しを過ぎてそう長いこともないだろう人生で、恐らく最大最後の「終わりのない目標」ができたのかもしれない。そう思えば、驚きと感慨を感じざるを得ない。

写真の記録性、或いは一期一会を残す意義

「アニキ」こと水木一郎氏が惜しまれつつ世を去って、3か月が過ぎた。深い悲しみに暮れたアニソン界も、アニキ亡き後に向かって歩み始めている。

そんな中、データの整理をしていたら、昨年夏にこんな写真を撮っていた事に気づいた。

2022年8月14日 スーパーアニソン魂のシャッタータイムより@ZEPP HANEDA

自分が最後にアニキの姿を拝見したステージで、ささきいさお、堀江美都子両氏とともにステージに並び立つ瞬間を写真に収められたのは、本当に幸運だったと思える。

写真には、こういう機能もあるわけだ。いや、むしろこれこそが写真の本来的な、そして最も重要な機能だろう。惜しまれつつ世を去った人々、形を失った物事。そんな記憶を、一日でも長く世の中に留めること。これを満たすためには、まず「しっかり撮れる」ことがなにより大切だと考える。

2022年8月14日 水木一郎“アニキ”が「自分の脚でステージに立った」もしかしたら最後の姿@ZEPP HANEDA

亡くなられる3か月ほど前の姿と知って今これらの写真を見直せば、既にギリギリの状態でステージに上がっていたのだろうということが改めて明らかになる。そういうことをより正しく残すことが、写真の、そして写真を撮る者の役目の一つと思う。

今後とも一層技術を高め、一つでも多くの機会を求めていこう。亡きアニキの在りし日の姿に、そんな思いを強くさせられた。